【昔取った杵柄シリーズ第5弾】足尾銅山-1
2008年 07月 18日
記録、ダイジェスト版である。
ある日、突然隊長が云った。
「次は、足尾だな!」
奥秩父のニッチツ鉱山遠征が失敗に終わったばかりだし、足尾銅山と云う響きが
あまりポジティブなイメージがなかったのも手伝って、部長も私も懐疑的であったが
隊長のいつにない強い意志を感じ、渋々足尾行きを計画した。
足尾銅山と云えば・・・
過去日本においてもっとも多くの鉱害による犠牲者を出した悪名高き場所だ。
しかし、過去の採掘量からも日本を代表する銅山でもある。
開山は1610年、その歴史は江戸時代まで遡る。
明治時代に入っても足尾銅山は近代化の一途を辿る日本産業を支える礎となり、
一時は宇都宮に次ぐ栃木県第二位の人口を数え、隆盛を極めた。
あの山間の斜面だけで多い時で3万人が住んでいたと云うから驚き!
しかし足尾は隆盛とともに「労働問題」「公害問題」「企業悪」と云った
「近代国家」が新たに抱える弊害をすべて背負い込んでしまった数奇な場所と云える。
そんな足尾に踏み込んだ我々HBCをまず迎えてくれたのは「サル」たちだった。
煙害による被害は、このハゲ山を見れば一目瞭然・・・
我々は、乏しい資料を頼りに現存する社宅跡をしらみつぶしに調査した。
しかし、まったく空振り・・・時々サルが社宅から飛び出して来て自分たちの
縄張りを主張した。
歴史的にももっと古い社宅跡地があるはずだ。
様々な角度から導き出したのは「小瀧地区」。この記念碑的看板地図が唯一、
今は無き旧名の地名を残し、膨大な量の社宅跡地を示していた。
最初に行った一日目はボーズ。二日目は大雨。しかし雨ぐらいでへこたれては
HBCの名が廃る!この日は帰路200kmの道のりを気にしながらも懸命にハケを
探した・・・そしてやっと、やややっと夢のようなハケに遭遇した・・・
典型的な斜面のハケ。それも高地である。
初めて、このハケに3名で足を踏み入れた時、とっさに状況を察した隊長が叫んだ!
「うろうろ歩き回るな!」
そう云われて私は自分の足元を凝視した。ななんと私の足下にガラス容器の山が・・・
それも片足には「金平糖」のびん。
逆の足の下にはミッキーマウスのニッキ水の小びんが・・・
どうゆうことなのか・・・このハケからは、ニッキ水のびんやコンペーのびん、
ペロペロにままごとガラスばかりが出てくるのだ!
我々HBCが夢にまで見た、ワンダーランドとのはここのことか!!!!
もー毎回ワクワクドキドキ状態でしたねー。この足尾のハケは。
私は、勝手に暗いイメージを抱き、何か怨念のたまり場のような場所ではないかと
思っていたのですが、そのイメージはことごとく覆されました。
どんなに鉱害をまき散らした呪われた場所であっても、そこで一所懸命に生きた
沢山の人々がいた、そんな人間の営みが感じられました。
苛酷な労働を強いられても、一攫千金を狙い、時には子供への贅沢なお土産もあったのでしょう。金平糖などは、昔から贅沢品であったと聞きます。
そして、唯一一軒しかない宿の露天風呂。最高!時々「サル」君も入っているよう
ですが・・・
ただ残念なのは、鉱山のある山は岩山です。斜面も岩だらけ。ですからお宝もキズ
ついたり割れたりしたものがほとんどでした。
ですが、今まで見たこともない割れた金平糖のびんや得体の知れないカケラなど、
資料的には素晴らしい一級品のモノばかりです。