「まだあった、東京の廃村」-1
2010年 06月 04日
国土地理院から1/5万の旧版地図、昭和7年と昭和23年の謄本を交付して
入手し、現行の地図と照合して「消えた村」を割り出しました。
事前に山道入り口も確認しておいたのですが、この日は濃霧・・・霧雨状態でした。
海には強いが、山には弱い「ニコニコ団」のために、私は通常の登山口からの
アプローチではない楽なコースを案内したつもりでした。・・・・が・・・
どーやら、地図上の林道では、なかったようで・・・かなりの苦戦を強いてしまいました。
霧も深いので途中で引き返しては、余計に危険とまるで間違っていなかったかのごとく
私も上へと進みました。
そして、やっと尾根伝いの山道へ出ました・・・
こんなはずじゃなかった・・・もっと早く、廃村に到着するはずでした・・・
ニコニコ団、申し訳ない!!!
山の頂上とは逆の方向で進みました。
やっと、やっとのことで訪れた廃村は、濃霧に包まれながら神秘的な雰囲気を
醸し出していました。
さっそく周辺を探索しました。が・・・・
ハケが、ありません・・・普通は、ここらへんにあるはず・・・・
それでも、少々捨てられているあたりを見て回りました。
でも結局、ほとんどボーズに終わりました・・・
そして、戻りがこれまたとんでもない大変な事態となりました。
最初の登り口付近にHBCカーを置いて来たので、帰りは通常の登り口へ
降りたため、HBCカーまでの車道のヘアピンカーブの坂道を何度も何度も
登ることにこれまたなってしまい・・・
いやー本当にニコニコ団すんまそん・・・
そして、これでは終われぬHBC、次の廃村へも向かいました!
こちらもそれなりにキツかった・・・
そして、結局、成果なし・・・・おーノーです・・・・
2つとも、もともと規模は小さい村ではありましたが、明治期からの集落だったのですが
まったくダメダメでしたねぇ・・・
私の地図照合からの苦労は、まったく浮かばれませんでした。
こーゆーこともあります・・・
隊長曰く
「もう廃村には行きませんから! あーいつものフィールドへ行けばよかった!」
もーしわけ、あーりませんでしたー。
でも次回は、持ち帰った1〜2点のびんを紹介しますです。