土の中から掘り出したガラスびんを研究してます


by HBC-BOW
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<   2011年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

「LOVE&PEACE」

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PEACE SYRUP
なんと素敵なネーミング、響きなのでしょう♪
甘い溶けるような至福の平和な世界・・・



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ハトは、旧約聖書のノアの箱舟の伝説にも由来して平和の象徴です。
ノアは47日目にカラスを放ちましたが、洪水の中まだ水が乾く前で
あったので留まるところがなくすぐに戻って来てしまいました。
次にハトを放ったのですが、同じようにもどって来てしまいました。



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それから一週間後、二度目にハトを放ったところ、オリーブの葉をくわえて
戻って来ました。
これによって、ノアは水が引き始めて陸が出て来たことを知ったと云います。
創世記8章8~11節の記事に由来しています。



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また、ハトが平和の象徴とされ世界に広まったのは、
1949年パリ国際平和擁護会議でピカソのデザインによる鳩のポスターが
作られてからとも言われています。



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PEACEと云えば、我々世代には煙草のピースの存在が印象深いです。



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煙草のピースは、「ラッキーストライク」のパッケージデザインも手掛けた
アメリカの著名な工業デザイナーのレイモンド・ローウィによって、
1952年(昭和27年)4月、現在とほぼ同じパッケージデザインに
変更されました。
商業デザイン一般への認識が薄かったこの時代の日本では、専売公社が
アメリカのデザイ ナーに当時150万円と云う高額なデザイン料
(これでもローウィ事務所側としては格安の受注であったという)を
支払ったことも話題になり、
このデザイン変更で爆発的に売り上げが伸び、「デザインが嗜好を変えた」
「新しい意匠は世界的水準にある」などと絶賛されました。
シンボルマークのオリーブの葉をくわえたハトは、先述の旧約聖書のノアの
方舟のくだりから、ハトが平和の象徴となった逸話にちなんでいる訳です。



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ですから、当然「愛と平和」を標榜した我々(隊長と私の学生時代〜)
にとってもハトは、平和への強いメッセージの象徴となっています。



もし銃口を向けられたら、微笑みながらその銃口へ一輪の花を差し込む・・・

遠い昔、外国の白黒の写真集でそんなショットを見た記憶があります・・・

あまりハッキリしてませんが・・・・



HBCは、全世界の平和を祈ります。

ピース!
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by hbc_nkzk2 | 2011-07-29 23:31 | エンボス | Comments(8)

「シェル・エンボス」

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もう皆さんよくご存知、シェルマークのライジングサン石油株式会社ボトル。
全長約165mm。

1833年:先代マ-カス・サミュエルがロンドンに東洋の貝殻を扱う店舗を開店。
    これがシェルのトレ-ドマ-クの起源。

1876年:ライジングサンの前身サミュエル商会、横浜で貿易業開始。

1929年にライジングサン石油横浜本社として建てられたビルの外観は、
建築意匠上モダニズムと古典主義、アール・デコが精妙にとけあった特徴
あるもので有名です。
その設計は、わが国のモダニズム建築を先導した建築家A・レーモンドと
当時日本にいたチェコの多才な建築家B・フォイエルシュタインの共同設計に
よるものです。


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年表の資料や古い新聞広告などを見ているとシェルマークの起源は、分かる
のですが当初からシェルマークを会社のシンボルとしては使用していません。
当初のマークは、タンクオイル缶の中にrising sun(朝日)が描かれています。
これは、社名ともリンクしており納得です。
私は、初めてこのシェル・エンボスマークを見た時は、シェルではなく朝日を
表現したものかと思いました。


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どうやら、合併を繰り返し資本金も大きくなっていった大正頃に製品の
商標、ブランドとしてシェルマークが使われるようになったと思われます。
このボトルは、揮発油だと思われます。おそらくエンボスのない面に
「揮発油」などの商品名が入った紙ラベルが貼られていたのでしょう。


さて、昭和13年の東京朝日新聞の広告に下図の殺虫液「シェルトックス」
なる商品広告を見つけました。
もしかすると、このボトルに「シェルトックス」のラベルが貼られていた
可能性も否定できません。
または、「シェルトックス」のエンボス入りボトルがあったのかも!?

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東京大学総合研究博物館画像アーカイヴス
日本の新聞広告3000(明治24年-昭和20年)


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いずれにしてもこのシェルマークは、朝日の放光とも相まって魅力的な
たたずまい、景色となっています。

素敵!

しかし、このボトル・・・
横浜に本社があったと云うのに関東圏で見た事がありません・・・
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by hbc_nkzk2 | 2011-07-23 11:55 | エンボス | Comments(6)

「謎のペロペロ」

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毎日、猛暑が続きますが、皆さん熱中症にはかかってませんか〜?
この真っ白な玉ガラスのペロペロでも見て涼んでくださいまし。
どうです、清楚で可愛いでしょ!



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でもでも、これはペロペロなんかじゃーないんですよ=。
この磯野波平の頭の毛のようなモノはなんだ!?
そーです。
これ燭台、ろうそくの台なんです。
時々お店なんかでも「ペロペロ」って、売ってる時があります。




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じゃー、これは!?
これは正真正銘のペロペロ!?



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裏返しても燭台じゃーあーりませんね!
ペロペロです。



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で、このディテールはどう思いますか〜!
皆さん! どー思いますかー?



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私は、ず〜〜〜〜〜っと気になってました。
この高台上部にねじりのレリーフがある型のペロは、二回りぐらい
小さいものも存在します。



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私は、どちらかが先で(きっと燭台が先じゃないかな・・・)その型を
ペロが使ったってことも駄菓子系ならあり得ると思うのです。

これ数年前から気になるテーマでした。
でもなかなか私の手に両方が揃わなくて、紹介出来ませんでした。
あーすっきりした〜♪

ガラスの世界は、奥深いですね。
びんの流用は当たり前、型の流用、型をぶった切って無理矢理容量を
整えたようなビンも存在します。
それは、エンボスが途中で切れてるんですよね。


あー、どうやら「ビン熱中症」は、まだまだず〜っと続きそうです!
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by hbc_nkzk2 | 2011-07-14 22:35 | ペロペロ | Comments(2)

「脳丸」大びん。

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便秘薬の「毒掃丸」で有名な山崎帝國堂の「脳丸」。全長90mm。

「頭脳の不完全なる者は馬鹿であります」の名キャッチでも有名である。


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創業者山崎嘉太郎は、1888年(明治21年)、東京市神田区花房町に
売薬化粧品商・山崎帝國堂薬房を創業。
その後、東京の支舗山崎太陽堂、大阪の支舗山崎兄弟商会や九州支舗を
設立するなど次々に業容を拡張し、全国展開を進めていった。


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日本においては、明治維新に漢方から西洋医学に劇的に転換したことを
境に、伝統医学と現代まで指示される西洋医学が激しく断裂した。


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明治期に入り精神病や脳病、神経衰弱という病が、人々の間で一般化した
背景には、人々の身体感覚が漢方の五臓六腑説から西洋医学の唯脳論へ
移行していった経緯がある。
漢方では人間の体は、全身を気血水が循環するシステム「経路と五臓六腑」
によって統合されていると考えられていたので、神経系や脳についての
知識をまったく持ち合わせていなかった。
しかし、これが幕末の一般人の知識であった。

江戸から明治へと移り変わり、身体観が五臓六腑から唯脳論へ移行した
ことによって祟りや狐憑きといった身体感覚が脳の病として
捉えられるようになる。
このような新しい病の定着にこの「脳丸」や丹平商会の「健脳丸」などの
広告がおおいに一役買っていたようだ。
もちろん、このインパクトある図像によって、イメージのリアリティを
いっそう増大させていったのである。


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この中身入り「脳丸」の大びんは、ハワイの友人のボトルコレクターから
譲り受けたと云う日本の方から、譲って頂いた。

もしかすると、この「脳丸」はハワイを渡って、日本へ帰って来た
里帰りボトルなのかも知れない。
ハワイには、古い日本のびんたちが数多く眠っているようだ。







出典:「心の病の日本近代」 青野有香里
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by hbc_nkzk2 | 2011-07-08 23:11 | 薬びん | Comments(2)
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うんざりする蒸し暑い日が続きます。
こんな日は、やはり良く冷えたビールに限ります!
しかし、子供の頃には何を飲んでましたかねぇ?
そーですね、私の実家では三ツ矢サイダーが御用達でした。
実は、三ツ矢サイダーにしか慣れていない私は、コカコーラの炭酸は
強すぎて鼻がツーンっとしてゴクゴクと飲めなかった記憶があります。
味も正直おいしいとは思わなかったです(笑)
ですから、外出先で注文する飲み物は、だいたい「サイダー・コーラ・
オレンジジュース」の三択でしたから、
そんな時は、緑色のサイダーかオレンジジュースを選んでました。
場末のレストランなどでオレンジジュースを注文すると
氷入りのコップに注がれたウィルキンソン・バャリースとその残りが
ビンごと目の前に置かれたもんです。
子供心に「特別おいしい飲み物ではないが、まー無難な選択か」と
思って飲んでいたと思います(笑)



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さて、この牛乳ビンのような広口のボトルは、初期のバャリースボトルです。
全長170mm。 CONTENTS 6 3/4 FLD.OZ.のエンボスがりますので
199.5ml で約200ml の内容量でしょうか。
沖縄の有名なソーダポップコレクター新垣氏のサイトでは、このタイプは
1946年頃のものと記載されています。ビンの博物館
初代は、この馴染みのロゴマークではないようです。
ですので、どうやら1950年代までは使用されたと思われます。
ボトルの底には「Dacro(ダクロ)」と「パテントNo」のエンボスが確認
できます。
この広口は、19世紀ミルクボトルのクロージングにおいて王冠栓とともに
ダクロ社が開発したオリジナルリップスタイルのようです。
よって、このバャリースボトルはミルクボトルのクロージング技術が
応用された容器と云うことが出来ます。
このネック部にそそり出た大唇は、内容物が下に流れ落ちないように考案
されたもので主に詰め行程においての衛生面を考慮したようです。
もちろん先述したように、これはミルク詰めのために考案された意匠なんです。
いわゆるWネックリングってことですね。
19世紀アメリカのミルクボトルを見ると沢山のこのリップスタイルを散見する
ことが出来ます。
そして、現在でも19世紀のDacro社オリジナルの様々な「栓抜き」は、
コレクターズアイテムです。


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この牛乳ビンのようなバャリースボトルは、戦後進駐した米軍によって
持ち込まれましたが、当時の日本は清涼飲料水の混濁、沈殿物を内務省令
(清涼飲料水営業取締規則)が許可していなかったため、国内での販売は
できませんでした。
その後、1947年(昭和22年)に同省令を改正、食品衛生法が制定され、
原材料に起因する混濁や沈殿物が認められ、人工甘味料、合成保存料の
使用も認められたため、1950年(昭和25年)、原料ベースを輸入して
日本でのバャリースオレンヂの製造販売が開始されました。
ですが当初は、米軍基地内のみの販売でした。
そして、1951年(昭和26年)に沖縄において一般にも販売が開始
されました。


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1962年(昭和37年)に「不当景品及び不当表示防止法」が成立、清涼飲料
関係で天然果汁を使用していないのに紛らわしい名称や表示を用いていた
商品は1968年(昭和43年)に排除命令を受け、「ジュース」の名称は
100%果汁以外使用禁止という業界決定がなされました。
そのため、「キリンジュース」、「リボンジュース」などと100%果汁でない
にもかかわらず「ジュース」の名称を使用していた果汁入り清涼飲料は
名称を変更せざるを得なかったのです。
ところが、バャリースは本来「100%果汁でなければ『ジュース』と言えない」
と頑と「ジュース」の名称を使用していなかったため、バャリースは名称変更の
必要も無く混乱もせずに販売を継続出来たのです。
これは、一種独占に近い状態ではなかったでしょうか。


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現在、日本国内においては2種類のバャリースオレンヂが存在しています。
沖縄には、沖縄バヤリースのオレンジ。沖縄以外の本土ではアサヒ飲料の
バャリースオレンヂ。
双方とも1950年頃からバャリースオレンヂの生産が始まったのですが、
沖縄ではアメリカからオレンジ濃縮ベースがそのまま供給されたのに対し、
日本本土では当時オレンジが輸入制限品目であったことなどから、アメリカで
作られた濃縮ベースの入荷ができず、日本の柑橘果汁やフレーバーを使い、
近い風味を作り出す工夫がされたそうです。
沖縄バヤリースのバャリースオレンヂは、生産開始当初から現在もほとんど
レシピは変わっていないそうですが、この名残でしょうか、
現在もアサヒ飲料から発売されているバャリースオレンヂは「果汁20%、
オレンジ・みかん混合」であるのに対し、沖縄県内で沖縄バヤリースから発売
されているバャリースオレンヂは「果汁10%、オレンジのみ」となってます。
沖縄に行かれた際は、是非飲み比べてみてください!
(沖縄バヤリースはアサヒ飲料が主要な株主として名を連ねている)

やっぱり、本土のバャリースオレンヂは、けっしておいしくなかった?!・・・


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しっかし、沖縄はソーダポップの宝庫です。
沖縄を知らずして、ソーダポップを語るなかれ!です。
その種類の多さとエキゾチックなデザインには、圧倒されますよ。

いずれ機会がれば、沖縄ソーダポップについて、ご紹介しますね。






出典/
株式会社沖縄バヤリース:http://www.okinawa-bireleys.co.jp/back_talk.html
バヤリース - Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/バヤリース
the Archive of Softdrinks:http://softdrinks.org/asd9701a/bireleys.htm
Milk Bottle Neck & Lip Styles:http://dairyantiques.com/Milk_Bottle_Necks___Lips.html
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by hbc_nkzk2 | 2011-07-01 15:16 | ソーダポップ | Comments(2)