土の中から掘り出したガラスびんを研究してます


by HBC-BOW
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「魅惑の神薬」-5

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「神薬」と云うネーミングは、いかにも国粋的、または神仙思想的であるが、
当時の西洋医学を取り入れようとした非常にイノベーティブな売薬であった
ことが解って来た。
とは云え、内容成分においてはとても近代医学の礎であったとは考えにくい
代物であるが、ここがまた面白い。
そしてまた、この容器が当時の近代医学の象徴であるかのように人気を博した
ことも興味深い。

7年ほど前のことであるが、私が東京都内の山間の廃村を訪れた時のことである。
ある程度の場所の特定はしていたものの、地図を片手に注意深く廃村へ向かう
荒廃した山道を歩いていた。
すると、足下にコバルトブルーのガラスの破片を見つけ驚愕、興奮して先を急ぐ
と次々と破片は多くなり、とうとう「神薬」のエンボスを確認できるまでの
破片を数十個拾ったことがある。
まるでおとぎ話の世界のようであったが、残念ながらこの時は、「神薬」の
完器を手にすることは出来なかった。
おそらく、林業を主体に生活を営んでいたこの村人は、日常的に「神薬」を
気付け薬として使用していたと推測でき、その量たるや驚くべき量であった。
完器を求めて再び訪れたこの「村」は、以前「昔取った杵柄シリーズ01」で
紹介したが、思わず我々HBCのドリームランド、ワンダーランドだとばかりに
「HBC-LAND」と称した「神薬ザクザクのハケ」があった。
いたるところに転がっている以外に、一軒の家屋跡地の小さなハケから一度に
10個以上の「神薬」を掘り出す幸運に恵まれた。
これは、「神薬」が木こりだけの使用にとどまらず、家庭内においても子供を
含めて幅広く浸透していた証ではないだろうか。

「甘スースー」。

真っ黒いおどろおどろしい液体は、口にすると甘くてハッカの香り・・・
そして気分は高揚する・・・
楽しみの少ない時代、それも山間部では嗜好品として、また子供の駄菓子
としても扱われていたかも知れない。



この神薬は、ビン底に屋号のエンボスがあります。

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こちらは、透明やアクアの神薬。

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茶筋入りの神薬など。

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コバルトブルーでない水色とピンクの神薬。
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角形神薬。
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こちらは、円柱形の「霊神薬」
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角形の富製薬株式会社の神薬。残念ながら割れてます。
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「神薬」とエンボスがなくてもこれらの容器にラベルが貼られて神薬が
入っていたことを骨董屋さんで確認したことがあります。
様々な薬ビンとして流用されたのでしょうが、このコバルトブルー、
瑠璃色のビンに納められていたのは、ほとんどが「神薬」ではなかったの
ではないでしょうか?

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次回は、「神薬」「コロダイン」についてです。
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by hbc_nkzk2 | 2010-07-31 00:46 | 神薬 | Comments(0)

魅惑の神薬-4

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これまで「邑田(むらた)資生堂」や「福原資生堂」、「山内資生堂」、
はたまた「新田資生堂」などと様々な「資生堂」名が出て来て、理解出来ない
方も多かったと思われる。
先述した通り、「資生堂」と言えば、現在の化粧品メーカーで有名な
「福原有信の資生堂」を思い浮かべるが、純粋にはこの「福原資生堂」では
「神薬」を製造しなかったようだ。
事実、「資生堂百年史」や「資生堂社史」にも言及は確認出来ず、たとえば
明治5年創業から明治21年までの当時の製品をあげると「きちがいの薬・神令水」
「なかちしらち(長血・白血)の薬・清女散」「口中一切の薬・金水散」
「けはひ薬・蒼生膏」「胸腹一切の薬・愛花錠」「胃腸の妙薬・ペプシネ飴」
「小児躰毒下し」「福原衛生歯磨石鹸」等があるが、その中にも「神薬」だけは
みつからないのである。
しかし、福原有信なしでは「神薬」を語る事はできないほどの深い関係である
ことは間違いない。

福原有信は、国策会社「大日本製薬会社」の設立や「帝国生命保険会社」の創設
者として知られる著名な人物である。
東京大病院勤務を経て、明治4年(1871)海軍病院薬剤官に就任。その後、西洋に
ならい医薬分業を実践するために海軍病院薬局長の官職を退き、明治5年(1872)
に民間事業として新橋出雲町16番地に洋風調剤薬局「資生堂」を創業した。
2Fに診療所を設け、1Fに薬局を置くと云う方式のものであった。
これと平行して、有信は本町1丁目にも「西洋薬舗会社」を開局した。
これは師である陸軍軍医総督「松本良順」に勧められたもので共同経営と云う
形で開業した。
この時点で有信は、出雲町16番地の「資生堂薬局」と本町1丁目の「西洋薬舗会社
資生堂」の2つの資生堂を経営することになる。
「資生堂」と云う社名は、易経の「万物資生(万物とりてなる)」つまり
「万物は徳をもとに生まれる」と云う言葉からとったものと云われている。
有信は、西欧流の正しい医療を提唱し、宮内庁御用達にも任じられ、陸海軍両省
への納品を許可されるまでとなったが、それもつかの間、経営破綻を来たし、
明治7年、8年と相次いで2つの「資生堂」の解散を余儀なくされた。

かくして、「西洋薬舗会社資生堂」は、良順の働きかけで「資生堂」の名称は
残しつつ三井組(三井銀行前身、三井合名会社)に売却され、
一方「資生堂薬局」の方は、有信個人の経営となった。
この「三井資生堂」は、所在地名から「本町資生堂」、「福原有信資生堂」も
所在地名をとって「新橋資生堂」と呼ばれるようになった。
この「福原有信資生堂」=「新橋資生堂」が、現在の(株)資生堂の前身でること
は云うまでもない。
一方、三井が出資した「三井資生堂」は、しばらくの間続き、明治中頃には
「中田資生堂」と呼称が変わり、大正の初め頃に姿を消したそうだ。

また、他の「牛込資生堂」は、本来「西洋薬舗会社資生堂(本町資生堂)」の
製薬所「副会社資生堂薬舗」として知られ、「西洋薬舗会社資生堂(本町資生
堂)」解散後は、三井系列から離れ、当時牛込早稲田にあったことから
「牛込資生堂」と呼ばれるようになった。
これが「邑田(むらた)資生堂」の前身と考えられる。
創業者・邑田弥平は、明治35年に没し、その後、弥平の呼称は3代まで踏襲
されたと云われている。

「西洋薬舗会社資生堂(本町資生堂)」が解散の際、関係者がそれぞれ
売薬権を分取し、田中久右衛門が「室町資生堂」を経営。
「山内資生堂」は、山内作衛門の経営となった。「室町資生堂」は、後に
田中久右衛門が権利を新田長次郎に譲渡したことから「新田資生堂」の名称で
しばらく存続したけれども、昭和18年の企業整理で田辺製薬に売却されている。

その他、京都四条通御旅町にも「響庭(あえば)資生堂」や台湾の薬種業を
一手に収めた「台湾資生堂」があり、さらにはそれぞれ「資生堂」の薬剤師が
独立分離して同名を名乗るケースもあったようだ。
東京市神田区猿楽町の「笠井資生堂」などが、その例である。

こうした、複雑な事情の中で複数の「資生堂」が存在し、それぞれがいくつかの
タイプの「神薬」を生み出した。
よって、明治期から大正期にかけては、同じ資生堂でも異なったタイプのびんが
作られたようで、びんだけで特定することは非常に困難である。
庄司先生も手持ちのびんに対しての解説は、憶測の範囲を出るものではなく、
今後のさらなる情報に期待したいと述べている。




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これは、保壽堂製薬の保壽神薬。

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こちらの3色神薬は、岩瀬売薬会社のもの。

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こちらは、東京市麹町区有楽町・全国購買組合連合会の「組合神薬」である。

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戦前の昭和期を代表するものであった。
この組合連合会(全購連)は、その名の通り家庭薬を全国各町村組合を通じて
組合員に配給する連合機関であり、この「組合神薬」もその家庭薬のひとつで
あった。

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びんの表は「組合神薬」、裏には「共存同盟」と印された桜マークのエンボスが
特長である。
この「組合神薬」も富山売薬の神薬同様、戦前・戦中・戦後にかけて全国的に
普及していたと思われる。
先に紹介した大きいサイズの神薬とほぼ同形、同容量と思われる。


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25〜30gの神薬

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篆書体の神薬。

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もう数回、神薬特集やります。
もうしばらくご辛抱を・・・・





所蔵すべて:BOW会長

出典と云うより、ほとんど抜粋:
謎の売薬「神薬」(第一部〜二部) ボトルシアター館長 庄司 太一

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by hbc_nkzk2 | 2010-07-24 22:57 | 神薬 | Comments(4)

魅惑の神薬-3

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「置き薬」と云えば、今日でも地場産業として富山、滋賀、奈良、佐賀などを
中心に、全国に販売ルートを持つ売薬である。
特に富山の配置販売は、歴史も古く元禄3年(1690)にまで遡る。
そして、配置薬において庄司先生が現在までに確認している「神薬」は、
富山売薬と奈良売薬のものが大多数だそうだ。
中でも、富山売薬の代表的なものをあげると、

朝日製薬(株)「アサヒ神薬」、(株)廣貫堂「トヤマ神薬」、滑川(株)、
保壽堂「保壽神薬」、(株)酒井大岩堂「サカイ神薬」、
(株)仁済堂「仙泉神薬」、越中薬業(株)「仙翁神薬」、
日ノ本売薬(株)「日本神薬」、水原薬房「改良神薬」、
東亜製薬(株)「東亜神薬」、東洋製薬「東洋神薬」、
富山薬剤(株)「太陽神薬」、高岡薬剤(株)「起死回生神薬」、
(株)茶木谷廣貫堂「常備救急神薬」、壽全堂「仁命神薬」。

これ以外にも、ただの「神薬」と云う製品名のものに関しては、

保寿堂製薬(株)、配薬(株)、(株)師天堂、(株)厚生師天堂、
岩瀬売薬会社、共栄製薬(株)、富山売薬(株)、新興日本製薬(株)
などのメーカーがあったが、
昭和中頃にはその数50社は下らなかったそうである。

庄司先生によると富山売薬の「神薬」びん形状は、大きく4タイプに
分類出来るそうである。

1)胴体が角張った長方形をしたもの
2)胴体が丸みをおびたもの
3)胴体が六角ないしは八角柱をしたもの
4)平たい方形をしたもの  ※この4)のタイプは、さらに細かく分類出来る



このサークルK神薬25gは、富山は共栄製薬(株)のものである。

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裏面には「富山県中田町 共栄製薬KK」のエンボス

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こちらは富山と云えば「(株)廣貫堂」の「トヤマ神薬」(左)

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右は、表が「神薬」のみで裏面に「トヤマ廣貫堂」のエンボス

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これは裏面に「薬生堂」のエンボス

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この神薬は、胴体が丸みをおびたタイプの「延壽堂神薬」

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富山売薬主流の中、この丸みをおびたタイプは奈良の大和売薬の流れを
くむものと思われる。
やはり配置薬において伝統ある奈良の大和売薬は、大正から昭和10年代に
かけて、奥村正永堂、梶谷延壽堂(現・新生薬品工業)、盛徳堂薬館、
豊島貫正社(現・豊島製薬)、宮本延壽堂(現・延壽堂製薬(株))、
安本恵星社(現・成光薬品工業(株))など、50社に近いメーカーが
「神薬」を盛んに製造していたそうだ。


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この地方の「神薬」は、ほとんどのびんに「コロダイン神薬」と表記されて
おり、びん形の特長は、富山のものに比べると「なで形」であった。
右は、安川コロダイン

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こちらは「本統神薬」、「新田資生堂」のものと判断できる。

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「本統」と云う言葉は、いかにも偽薬に対し、正当性を主張しているかの
ようである。それだけ、多くの様々な「神薬」が存在した証でもある。

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裏面に「東京資生堂」のエンボス

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「本統神薬」は、明治中期から大正期にかけてのものと思われる。

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「佐藤尚中博士方剤」

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あと数回、神薬特集やります!





所蔵すべて:BOW会長

出典と云うより、ほとんど抜粋:
謎の売薬「神薬」(第一部〜二部) ボトルシアター館長 庄司 太一

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by hbc_nkzk2 | 2010-07-18 14:56 | 神薬 | Comments(6)

魅惑の神薬-2

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効能:霍乱(かくらん/日射病)、腹痛、虎狼痢(コロリ=コレラ)、眼病、
頭痛、食欲不振、通風、破傷風、手足筋引きつり、めまい、産前産後の
血の道、小児疲疳(慢性消化器障害)、驚風(脳膜炎)、百日咳、虫一切、
痘瘡(天然痘)、麻疹の節によし、切り傷、突疵、打身、虫歯、
牛馬急病疵所に用いてよし



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明治10年西南戦争のおかげで「神薬」の売れ行きは、かなりのものであった
と云う。
この戦役において「山内資生堂」は、「神薬」で大いに財をなしたと
伝えられる。
しかもこれを契機に明治中頃には、一種の「神薬」ブームが起こったそうだ。
しかし、明治40年代に入ると、この万能薬も他に台頭してきた売薬に押され、
次第にその姿を潜めるようになる。
しかも、当時の政府は「売薬」を抑圧し、漸次万能薬を特効薬へと改良淘汰して
行く方針を打ち出した。これはまさに売薬の撲滅が本旨であった。   
さらに、「神薬」における重要な人物である「松本順」「佐藤尚中」「林紀」と
云う西洋医学の匆々たる後ろ盾が、明治15〜40年の間に他界してしまう。


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このような要因から明治後期には、「万能薬、神薬」の姿は次第に姿を
消しつつあった。
ところが、こうした時期と前後して、その後「神薬」は全国各地へと散らばって
行き、「配置売薬」へと姿を変え、その後の大正、昭和期にかけては、
主に「置き薬」として生き残る運命を辿る。
それも従来の万能薬ではなく、新たな「気付け薬」としてであった。


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大正期に入ると、政府の和薬に対する方針の緩和もあり「置き薬」の巻き返しに
ともない「神薬」は庶民の人気商品へと着実にその地位を築いて行った。
「置き薬」として行李(こうり)に納められ、大きな風呂敷に包まれ、
売薬商人の背中に担がれて、全国各地へと運ばれて行ったのである。
かくして「神薬」は、昭和期に入り配置薬として不動の地位を築くに至ったが、
第二次世界大戦の勃発によって、原料配給や価格統制の影響を受け、さらに
処方統一化もあって、再び「神薬」メーカーは急速に衰退して行くことになる。


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そして、前述したように昭和51年に厚生省から出された配合主成分エーテル・
クロロホルム使用禁止の勧告を受け、庶民の人気商品「神薬」は、
一気に市場から姿を消して行ったのであった。





所蔵すべて:奥沢ニコニコ団

出典と云うより、ほとんど抜粋:
謎の売薬「神薬」(第一部〜二部) ボトルシアター館長 庄司 太一

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by hbc_nkzk2 | 2010-07-09 22:38 | 神薬 | Comments(0)

魅惑の神薬-1

ガラスびんコレクターならば、必ずや「神薬」の魅力に
取り憑かれているのではないだろうか。
この怪しげなネーミングとともに思わず目を見張る瑠璃色の小びんは、
我々ガラスびん好きの心をつかんで離さない。
コレクションのプライオリティーも最上位に近いランクではないだろうか?

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元々、西洋において瑠璃色(コバルトブルー)のびん色は、口にしてはならない
「NOT TO BE TAKEN」の注意喚起の色だった。
しかし、色彩心理学的にもブルーの色味は、人間の精神の鎮静効果を
もたらすと云う。
ましてや、ガラスの瑠璃色(コバルトブルー)は、透明である。
光をたっぷりと含み輝く・・・
この光を取り込んだ時の瑠璃色(コバルトブルー)の美しさは、まさに鉱物、
宝石のような輝きであり、我々に深い安堵感と癒しを与えてくれる。

この斬新な色鮮やかな色味とネーミングの代物は、現代の我々以前に当時の
人々の西洋へのあこがれを喚起するものであり、ハイカラの象徴であったのだ。
また、どうやら「神薬」こそが、我が国における売薬びんの「青びん第1号」と
考えられ、当時のある種のブームもあったようだ。 


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この「神薬」、いかにも国粋的ネーミングでありながら、実は文明開化とともに
誕生した和薬でない洋薬を基礎とするものであった。
しかしながら、その効能の謳い文句とは裏腹に内容成分は怪しい代物で
あったことは、「神薬」好きならば周知の話である。
昭和51年、厚生省によるクロロホルム使用禁止の勧告を境に、市場から姿を
消して行った・・・


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この写真の「神薬」は、まぎれもなく明治期の「邑田(むらた)資生堂」の
神薬である。
びんの首部にあるネックリングは、薬液がびん口から滴った際に、
それを阻止する役割のもので、これは古いびんの持つ特長のひとつである。

「邑田(むらた)資生堂」は、目薬の「一方水」でも有名であるが、
東京都内に複数軒存在した
「資生堂」の中でも「本町資生堂」の製薬所「牛込資生堂」の流れをくむ。


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「資生堂」と言えば、現在の化粧品メーカーで世界的にも有名な
「福原有信の資生堂」を思い浮かべると思われるが、純粋にはこの
「福原、資生堂」では「神薬」を製造していなかったと云うことができる。
もちろん福原有信と「神薬」との関係は、深い関係ではあるけれども、
掛川の資生堂資料博物館にも「神薬」製造の記録はどこにもない。

胃腸薬として有名な「コロダイン」との関係も深く、「コロダイン」自体も
謎めいた売薬の一つであるが、
成分組成からして同等、または同一の代物なのである。


我々HBCのボトル・ディギングアイテムの中でも当然プライオリティーの
高いこの「神薬」を取り上げ、
数回に渡り、ご紹介して行きたいと思います。




「邑田資生堂 神薬」:奥沢ニコニコ団所蔵

出典:謎の売薬「神薬」(第一部〜二部) ボトルシアター館長 庄司 太一

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by hbc_nkzk2 | 2010-07-02 22:22 | 神薬 | Comments(8)