土の中から掘り出したガラスびんを研究してます


by HBC-BOW
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魅惑の神薬-2

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効能:霍乱(かくらん/日射病)、腹痛、虎狼痢(コロリ=コレラ)、眼病、
頭痛、食欲不振、通風、破傷風、手足筋引きつり、めまい、産前産後の
血の道、小児疲疳(慢性消化器障害)、驚風(脳膜炎)、百日咳、虫一切、
痘瘡(天然痘)、麻疹の節によし、切り傷、突疵、打身、虫歯、
牛馬急病疵所に用いてよし



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明治10年西南戦争のおかげで「神薬」の売れ行きは、かなりのものであった
と云う。
この戦役において「山内資生堂」は、「神薬」で大いに財をなしたと
伝えられる。
しかもこれを契機に明治中頃には、一種の「神薬」ブームが起こったそうだ。
しかし、明治40年代に入ると、この万能薬も他に台頭してきた売薬に押され、
次第にその姿を潜めるようになる。
しかも、当時の政府は「売薬」を抑圧し、漸次万能薬を特効薬へと改良淘汰して
行く方針を打ち出した。これはまさに売薬の撲滅が本旨であった。   
さらに、「神薬」における重要な人物である「松本順」「佐藤尚中」「林紀」と
云う西洋医学の匆々たる後ろ盾が、明治15〜40年の間に他界してしまう。


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このような要因から明治後期には、「万能薬、神薬」の姿は次第に姿を
消しつつあった。
ところが、こうした時期と前後して、その後「神薬」は全国各地へと散らばって
行き、「配置売薬」へと姿を変え、その後の大正、昭和期にかけては、
主に「置き薬」として生き残る運命を辿る。
それも従来の万能薬ではなく、新たな「気付け薬」としてであった。


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大正期に入ると、政府の和薬に対する方針の緩和もあり「置き薬」の巻き返しに
ともない「神薬」は庶民の人気商品へと着実にその地位を築いて行った。
「置き薬」として行李(こうり)に納められ、大きな風呂敷に包まれ、
売薬商人の背中に担がれて、全国各地へと運ばれて行ったのである。
かくして「神薬」は、昭和期に入り配置薬として不動の地位を築くに至ったが、
第二次世界大戦の勃発によって、原料配給や価格統制の影響を受け、さらに
処方統一化もあって、再び「神薬」メーカーは急速に衰退して行くことになる。


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そして、前述したように昭和51年に厚生省から出された配合主成分エーテル・
クロロホルム使用禁止の勧告を受け、庶民の人気商品「神薬」は、
一気に市場から姿を消して行ったのであった。





所蔵すべて:奥沢ニコニコ団

出典と云うより、ほとんど抜粋:
謎の売薬「神薬」(第一部〜二部) ボトルシアター館長 庄司 太一

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by hbc_nkzk2 | 2010-07-09 22:38 | 神薬 | Comments(0)